大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 昭和29年(ワ)575号 判決 1956年10月31日

原告

小野精治

被告

長崎精麦企業組合

外一名

主文

被告らは原告に対し各自金七万円及びこれに対する昭和二十九年十二月二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告ら、その四を原告の各負担とする。

事実

(省略)

理由

昭和二十九年四月三日午後三時頃、長崎市外道の尾方面から長崎市方面に向つて進行してきた原告操縦のオートバイと被告内藤秀之の操縦にかかるオート三輪車とが原告主張の場所附近で衝突したことは当事者間に争がなく、成立に争のない(被告内藤の関係では弁論の全趣旨に徴して成立を認める)乙第一号証、第二号証、第四号証、第五号証、甲第一号証、証人坂本初太郎、辻済男の各証言、検証の結果、原告本人尋問の結果の一部に弁論の全趣旨を綜合して考えるときは次の事実を認めることができる。本件事故の発生した道路は長崎市大橋町方面から長崎市住吉町方面に通ずる幅員約八米位の平担な人車道であつて、その左側(大橋町方面から見て)にはこれと併行した市内電車軌道が通じており、本件事故発生の現場附近に、電車軌道の横断道路が設けられている(別紙附図参照)。そして原告は前記日時頃右人車道の左側を住吉町方面から大橋町方面に向け時速約四十五粁位の速力でオートバイを操縦運転し、丁度住吉町片岡鉄工所前附近において前方から進行してきたバス及びトラツクと摺違つたのであるが、その時前方約百米位の地点に被告内藤秀之が大橋町方面から住吉町方面に向けて道路の左側(原告のオートバイから見て右側)を時速約二十五粁位の速力で操縦運転してくるオート三輪車を発見し、被告内藤秀之の方でも同じく原告のオートバイを認めた。しかし被告内藤秀之は両車の間隔が約百米位もあり、かつ道路の幅員も八米位あるところから、両者は互にその右側を容易に摺違い得るものと速断し、方向指示器を掲げることなく、そのままの速力で前記電車軌道を横切るべく、その操縦運転するオート三輪車のハンドルを先ず右に切り、次に左に切つてこれを大きく左折させようとした。原告の方ではこれまで道路の左側(原告のオートバイから見れば右側)を進行してきたオート三輪車がハンドルを右に切つて道路の中央部に進行してきたため、該三輪車がそのまま道路の右側(原告のオートバイから見れば左側)を進行してくるものと速断し、オートバイを三輪車の左側(原告のオートバイから見れば右側)で摺抜けさせようと考え、ハンドルをやや右に切りそのまま時速四十五粁位の速力でオートバイを進行させた。ところが両者の間隔が約五米位に近接したときオート三輪車はハンドルを左に切つて左廻りを始めたため、原告は衝突の危険を感じて直ちにハンドルを左に切つてこれを避けようとしたけれども遂に及ばず、オートバイの前車輪を被告内藤秀之の操縦するオート三輪車後車輪のリームに斜に撃突させ、原告はオートバイ共斜前方(東南方)約二、九米位の地点にはね飛ばされて顛倒し、原告主張の如き傷害を蒙り、直ちに住吉病院において応急措置を受け、次で長崎医大附属病院に入院治療を受けたけれども、未だ全治に至らず、今なを正坐することができず、疼痛を感ずるという状況にある。原告は、前記片岡鉄工所前附近で、前方から道路の右側(原告のオートバイから見れば左側)を進行してきたトラツクを認めこれをその右側に摺かわすべく、操縦運転するオートバイの進路を右に採つた瞬間、突然被告内藤秀之の操縦運転するオート三輪車がトラツクの蔭から疾走してきて原告のオートバイを突飛ばした旨主張するけれども、これに添う乙第三号証の記載、証人植松鉄三郎の証言及び原告本人尋問の結果は、いずれも前顕各証拠との対比上到底採用に値せず、他に叙上の認定をくつがえして原告の右主張を認むべき証拠はない。

しかしてオート三輪車を運転操縦する者が叙上認定の如き状況において三輪車を左廻りさせる場合には、よろしく方向指示器を掲げて相手車に自己車の行動を察知せしむべき措置を採ることはもち論速力を調整し、可及的に小さく左廻りする等事故の発生を未然に防止するため、万全の措置を講ずべき注意義務があると解すべきところ、本件事故は、前記認定の如く被告内藤秀之がその操縦運転するオート三輪車を左折させるにあたり、右注意義務を怠つて方向指示器を掲げず、また速力を調整して可及的に小さく左廻りする等の措置を講じなかつたために発生したものと認められるから、正にその過失に因るものといわねばならぬ。そうすれば被告内藤秀之が原告に対しその蒙つた財産上の損害を賠償すべきことはもち論、肉体上、精神上の苦痛に対する慰藉料の支払義務をも免れ得ないことは明であり、また被告内藤秀之が被告長崎精麦企業組合の被用者であることは当事者間に争がなく、前顕乙第二号証、第三号証を綜合すれば、被告長崎精麦企業組合は精麦等を目的とする企業組合であつて、被告内藤秀之はその精麦製品及び副製品等の運搬のためオート三輪車の運転手として被告組合に雇われている者であること、本件事故は被告内藤が被告組合の命により精麦副製品を長崎市元船町日通海運課に運搬した帰途に生じたことが明であるから、正に被告内藤が使用者たる被告組合の事業の執行につき第三者たる原告に損害を加えたものと認むべく、従つて被告組合もまた原告に対し叙上損害賠償義務のあることは当然である。

よつて次に損害賠償額について考えるのに、証人香月政子の証言によつて成立を認め得る甲第三号証の一ないし五、成立に争のない甲第二号証の一ないし二二(被告内藤の関係では証人香月政子の証言により成立を認める)に証人香月政子の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、本件事故のため原告は医療費として八万四千八百四円、附添婦代として五万七千八百円、松葉杖その他雑費として四万三千二十八円の各出費をなし、また六ケ月にわたつて家業である肥料商の休業を余儀なくされ一ケ月三万円、合計十八万円の得べかりし利益を喪失し右各金額に相当する財産上の損害を蒙つたことが明である(このほか原告はオートバイの修繕費二万円を要した旨主張するが、原告本人尋問の結果のみによつてこれを認めるに足らず他にこれを確認すべき証拠はない。)しかしながら、大体自動車の運転手は絶えず前方を警戒し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるわけであつて、このことから考えれば、前記認定の如く原告はトラツクと摺違つて約百米位の地点に道路の左側を進行してくる被告内藤秀之操縦のオート三輪車を発見し、かつ該車がハンドルを右に切つて道路の中央部に進行してくるのを認めたのであるから、かような場合には衝突を避けるため、相手車の行動を明確に察知し得るにいたるまで、少なくとも何時にても停車し得べく除行するの用意に出で、相手車の行動に備うべき注意義務があるものと認むべきところ、本件事故は前記認定の如く原告が右注意義務を怠り、オート三輪車はそのまま道路の右側(原告のオートバイから見れば左側)を進行してくるものと速断し、オートバイを三輪車の左側(原告のオートバイから見れば右動)で摺抜けさせようと考え、ハンドルをやや右に切つてそのまま時速四十五粁位の快速力でオートバイを進行させたために生じたものであつて、正に原告の無謀運転の結果というべく、このことに証人坂本初太郎、辻済男の各証言及び弁論の全趣旨を綜合して認め得る原告が無免許のままオートバイを操縦運転していたこと、当日原告は飲酒していたこと等の諸事実を参酌するときは、被告らの損害賠償額は金四万円を相当と認める。また本件事故のため原告が肉体上精神上多大の苦痛を蒙つたことは経験則上明であるが、叙上認定の事故の原因その他諸般の事情を参酌綜合して考えるときは、その慰藉料の額は金三万円が相当である。

然るときは被告らは各自原告に対し金七万円及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明かな昭和二十九年十二月二日から完済にいたるまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべく、原告の本訴請求は右認定の限度においては理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する(本件については仮執行の宣言を付さない。)。

(裁判官 入江啓七郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例